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市場で求められる人材が変化したことについて考えてみた ~ハーバード・ビジネス・レビュー 別冊「人材の未来、教育の未来」を読んで~

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ハーバード・ビジネス・レビューの別冊号「人材の未来、教育の未来」を購入。その特集の一つに藤原和博さんの記事が興味深かったので、ちょっと書き残しておく。

藤原さん曰く、日本は1997年の山一證券北海道拓殖銀行の倒産し、翌年(1998年)に日本債券信用銀行日本長期信用銀行が倒産したことをきっかけに、二十世紀型の「成長社会」はピークアウトし、二十一世紀型の「成熟社会」ははじまった。

社会の変化に伴い、人材に求める能力も変化した、「成長社会」では「情報処理能力」が必要とされていたが、「成熟社会」となり「情報編集力」が新しく求められるようになったとのこと。

このインタビューを読んで疑問に思ったことがある。それは金融機関が倒産したら、なぜ社会のあり方が変わるだろうか?ということ。いくら読み返しても、ちょっと答えっぽいものがなさそうだったので、自分なりに考えてみた。

考えてみた結果、金融機関が倒産したことはあまり社会を変えた原因ではなさそうだ。なぜなら金融機関が倒産したことはバブル崩壊の結果であり、そのことが社会で求められる人材を変えたとは思えない。僕は社会で求められる人材が変わった理由は2つあると思う。

    • サービスのコモディティ化

      1990年代で発展途上国と呼ばれていた国々の技術力が高まり、それまで日本に強みがあった製品、サービスの廉価版が多くの国で生産されるようになったこと。いわゆる、コモディティ化である。コモディティ化から抜け出すためには、簡単にマネされない何か必要になる。そのため、人材という観点でも「何か」を作れる人が求められるようになった。

    • インターネットの登場

      インターネットによって、ビジネスで考えなければいけない変数がさらに増えた。それ以前の時代でさえ、ビジネスに影響を与える変数は多かったのに、インターネットによってその変数が倍以上になり、その変数を取捨選択する必要が出てきた。その取捨選択するという行為が情報編集力であり、それができる人材を社会が求めたのだろう。

コモディティ化から抜け出すアイデアを創造でき、インターネットに対応した人材とはどんな人材なのだろう。そして、そういった人材は教育によって生まれるのだろうか。自分が受けてきた教育を考えると、想像できないことが多い。しかし。藤原さんのような人が日本の教育を変えていくのだろう。

日本のためにも、将来の自分の子供のためにも、人材と教育という分野はちゃんと見守っていきたい。